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防風林「日本の道の狭さには、乗り物文化の違いがあった・・・【2017年5月2週号】」

 ▼交通渋滞のたびに「日本の道路はなぜ狭いのか」と嘆いてしまう。高度経済成長期に高速道路網の新設や国道拡幅が進んだが、地方にはいまだ車社会を想定されていないかのような狭い道が多い。
 ▼道の歴史解説書『道』(武部健一著)によると、日本の道が文献に初めて登場するのは、『魏志倭人伝』。対馬の表記に「道路は禽鹿径(きんかみち)の如し」とある。中国・秦朝期には、首都から各都市に広い幅の道路が造成されていて、使者には獣道にしか見えなかったよう。
 ▼その後、大化改新後の中央集権政府は律令制を広めるため「駅伝馬制」を導入。東海・北陸・東山など幅9~12メートルの総延長約6300キロにおよぶ駅路7道を造成した。軍の移動や勅令送達、官吏用道として等間隔に駅を配置した。一方、伝路の幅は狭く各駅から地方の町村につながっていた。
 ▼制度の廃止で駅路は土深く埋もれたが、伝路は生活道などに引き継がれた。鎌倉・室町・江戸期には街道などを整備したが、駅路のように広幅道路を造成した記録はない。江戸期は海路が物資運搬を担い、陸路は参勤交代など人馬の移動が中心の街道整備が主だった。
 ▼最短距離で建設した高速道路と、発掘した駅路がほぼ同一ルートというから驚く。近代の明治政府は鉄道の延伸に力を注ぐが道路整備は二の次。古代から馬車を利用した大陸文化に対し、日本は平安期の牛車以外の乗り物の歴史は浅い。交通渋滞と道幅の狭さの原因といえようか。