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防風林「創意工夫は業者も農家も前向きだった【2017年8月3週号】」

 ▼むらの鍛冶屋から、農具製造業へと転業できた工場は数少なかったという。今や国内有数の作業機製造会社として存続できているのは、「急峻(きゅうしゅん)な山を持っていたから」と経営者から聞いたことがある。頑強な鋤部を打っても、畜力耕での推進力に耐えうる強い柄が求められたのだ。
 ▼真っすぐな木材から湾曲部を削りだした柄は弱く、土壌中の小石や礫との衝突で負荷がかかると折損が多発した。そこで、山の急傾斜面から力強く天に伸びる立木の湾曲部分を加工した柄は、柔軟にしなり衝撃を逃し折れにくくなり重宝された。耐久性重視の製品作りが農家に受けた。
 ▼脱穀も千歯扱きから足踏み脱穀機に移行し、動力脱穀方式が一般に普及したのは戦後以降だ。当時まだ高価だった発動機を耕うん機や脱穀機、籾(もみ)すり機など複数の手動機械に、Vベルトなどで連結し、使い回すことで軽労化と効率化を一気に実現させたのはそんなに昔のことではない。
 ▼大学などでの農業史講座では『農具便利論』(大蔵永常)を教えても、現代までの農業技術史は語られない。滋賀県長浜市にある発動機の歴史を伝える博物館を訪ねると、農業と動力の密接な関係性が理解できる。
 ▼20年も前に発行した『農作業の知恵袋』は、農機改造などで農作業をより快適にする事例を収録した。当時、生産調整の強化など世相は決して明るくはなかったが、創意工夫を楽しんで快適性を求める前向きな農家はたくさんいた。