▼東北地方に住む古い知人から、「誕生月で職場の定年を迎えた。再雇用となり同じ業務を継続することになった」とのメール連絡が届いた。
▼彼は小学生時代、夏休みの自由研究で大量のマッチ棒の細長い軸をボンドで一本一本接着して客船を製作した。中学生のころから電気に興味を持ち、エナメル線をぐるぐる巻いたコイル付きラジオを作ったのを契機に、将来の方向性を決めたという。
▼普通高校から大学進学を勧める教師の助言に反し、電子系の学科が唯一ある県立の工業高校に進学。卒業後は東北地方の電力会社に就職し、通信技師として福島や仙台などの事業所を転々とする。真冬には、通信ケーブル切断事故を想定した緊急対応訓練にも参加。〝かんじき〟を初めて足に着け、雪の山道を数キロ離れた鉄塔までを歩いた。
▼「鉄塔の先端に登り配線するのは俺〈おれ〉じゃない。電気工事する技術者は、命がけの仕事に送電の命脈を守るという意識が強いんだ」と彼は仲間が誇りだった。固く信じたのは「日本経済や生活を支えた原子力発電はこれからも続く」。しかし、そんな話題が東日本大震災以降、彼の口からは聞くことがなくなった。
▼福島勤務が長く知人も多かった彼には、電力会社の社員に向けられる刺すような視線を感じた。震災そして原発事故から6年以上が経過した今も、帰村を躊躇〈ちゅうちょ〉する被災者の多い現実に、やるせない思いを抱き続けている。「電気は人間の生命線(ライフライン)。その命脈を守り続けよ」と返信した。