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防風林「城郭の元は環濠集落、農家の生活を守るためにあった【2018年5月1週号】」

 ▼一昨年の熊本地震で崩壊し修復作業が進む熊本城。櫓(やぐら)の土台を一列の石積みだけで支えた映像から城造りの巧みさに驚く。安土桃山期から江戸期の近世城郭に対し、中世城郭では石垣を用いる例は少なく、山河を要害に見立て搦(から)め手(裏口)とし、大手(表口)は空堀や高い土塁をめぐらす縄張りが多かった。
 ▼狩猟や採集が中心の縄文期、人間は家族単位の行動圏内で暮らせたが、農耕が始まった弥生期に入ると、圃場や水路などの造成を余儀なくされた。そのため複数の家族が近い距離に生活し、労働力をともに提供しあったのが「原始集落」だ。
 ▼次第に複数の集落が共同群落を形づくる過程で、水利権や作物の豊凶などにより共同群落間の関係が悪化し、諍(いさか)いが所々で発生。周囲を堀や土塁で囲った「環濠(かんごう)集落」が各所で形成される。これが、国内最初の城郭造りの始まりだとされる。
 ▼共同社会を維持する機能のはずだが、徐々に権力者と家臣、農民との生活圏を境界分けする象徴的な施設に。武家社会に入ると領主を守る砦(とりで)に変化、生活防衛的な機能は失われていった。
 ▼城の創建時から残る天守は、全国で12城のみで、ほかは復元天守とされる中、「城」が付く地名でありながら宅地や学校の敷地の下に埋まり、調査されず立ち入りできない遺構も多い。建機のない時代の壮大な土木遺構に接するたび、労役に従事した農民の汗を連想する。城郭は、農民が生活を守り続けた環濠集落がもとなのだ。