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防風林「農兵節が残す農家の身分制からの脱却【2018年8月2週号】」

 ▼♪富士の白雪やのーえ とけて流れてのーえ とけてさいさい♪――静岡県三島・伊豆地方を起源とする民謡で今も伝わる「のーえ節」。正式名称が、「農兵節」であることを知る人は少ないのでは。
 ▼戦国時代、農民は戦のたびに一兵卒として駆り出された。江戸期に入ると、士農工商の身分制のもと「兵農分離」を原則とし、武士階級以外は特別な例を除き苗字・帯刀は許されず、鉄砲を担ぎ共に隊列を組むことはあり得ないことだった。
 ▼同地方にある"韮山反射炉"は、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一つ。設置を推進したのは、砲術家で韮山代官の江川太郎左衛門。黒船来航に国難を憂い大砲製造と沿岸警備を重くみて、農民層から兵を募ることを幕府に願い出たのが農兵の起源とされる。許可が下り編成したのは太郎左衛門の孫世代に入った1890年。農兵節のもとは進軍歌だったよう。
 ▼『幕末の農兵』(樋口雄彦著)に詳しい。庶民も加わった軍隊としては高杉晋作の奇兵隊は有名。だが幕末期には静岡の農兵以外にも諸藩で組織化の例もあった。戦闘のプロたるべき御家人衆などは役人化し兵として無(気)力、「地に落ちていた」と樋口氏はみる。
 ▼商家や庄屋が金銭で苗字・帯刀を手に入れることができた「忖度(そんたく)社会」。農兵が参戦した例は少ないが、矛盾に満ちた幕藩・封建体制の終えんにおいて、抑圧を受けてきた農民層が自ら名乗りを上げた事実は、農兵節に記録としてわずかに留(とど)めている。