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防風林「藤村の初恋の舞台は和リンゴの畑【2018年9月3週号】」

 ▼「まだあげ初めし前髪の林檎(りんご)のもとに見えしとき......」で始まる島崎藤村の「初恋」。藤村が少女の姿とだぶらせた果実は、西洋リンゴだったのか、小さな和リンゴだったのか?
 ▼明治初年、太政官令で欧米からリンゴやナシ、ブドウなどさまざまな果実の苗木を日本に輸入し、生産奨励のため産地に配布したのは1875年というから藤村は3歳。少女が「白き手を差し伸べて薄紅の秋の実を手渡し」たのは、藤村が何歳だったかは分からない。だが、淡い恋の場面には和リンゴがよく似合っているように思う。
 ▼長野県牟礼村で和リンゴを復活した農家を取材したのは14年前。"たわわ"の表現通り赤く可れんな果実が彩る風景。明治期に各産地で植えられた「国光」の洋名は米国バージニア産「ラールスジャネット」、「紅玉」は同ニューヨーク産「ジョナサン」という名前の大きめな実が付く洋リンゴなのだ。
 ▼明治・大正期まではこの2品種に加え、アイオワ出身の「デリシャス」が国内主力品種として園地に広がった。昭和期に入ると国産初品種として育成されたのが「農林1号」、名前は「ふじ」。その後は「つがる」「王林」と国産が続く。
 ▼藤村の初恋の舞台「林檎畑の樹の下」は、お姫様みたいな和リンゴの小道だろうと想像する。今や見ることも少ない和リンゴの色や姿を生かし、甘酸っぱい香りを放つ果実に改良したら品種名はやはり「初恋」だなぁ、と独りごと。

1809w3-1.jpg 長野県牟礼村の米沢稔秋さんが、明治時代まで地元で盛んに栽培されていた和リンゴ「高坂リンゴ」を復活させ、自らの園地にたわわに実らせていた風景(取材時2004年)です。当時、一本の枝からは小さな和リンゴが結実していた。防風林子は、島崎藤村「初恋」の一節、「林檎畑の樹の下」とこの米沢さんの園地が重なって思いうかべていたのです。



1809w3-2.jpg  取材時に、現在どの国内農家も栽培している一般的な西洋リンゴ(品種については忘れてしまいましたが)と、米沢さんが育てる「和リンゴ」(高坂リンゴ)を比較してみました。写真のように、小さいかわいい姿はまさに「姫リンゴ」と呼ぶにふさわしいと思いませんか? 大きさにして3分の1程度。明治期以前は、中央アジア原産とされるこのような系統の和リンゴが主流だったようです。現在では見られなくなりましたが、「在来品種」「伝統果実」と呼べるこれら系統を残していくことは、大切なことではないかと思います。