▼「稲のことは稲に聞け」「農学栄えて農業滅ぶ」などの言葉を残した明治期の農学者・横井時敬。現場主義の姿勢を崩さなかったという。
▼苗を植え、茎数や穂数を数え、握って着粒を量る。止葉の傾きや葉色から収穫適期を予想する。「何十回と繰り返しても米作りは難しい」と謙虚に話す何人もの水稲農家に出会ってきた。
▼学生時代、縁あって山形県のとある水稲農家のもとで約1カ月の実習をさせていただいた。除草剤施用の数日後に、突然の大雨で薬剤が流れヒエが大繁茂。田んぼ作業は初めての経験、裸足で田に入りひたすらヒエを抜いて丸め泥中に突っ込み足先で深く押し込んだ。その繰り返しで1日目にして辟易し、「こんな作業の繰り返し、疲れて頭の中は空っぽ、何も考えられない」と愚痴った。農家は笑って「まっ頑張って」と一言だけ。
▼翌日も終日ヒエ抜き作業。ところが単調作業に慣れたのか、頭の中は空腹で夕食のことばかり。「今日は何を考えた?」との問いに「肉がたくさん入ったカレーを食いたいと考えてた」と言う。さらに2日後、「農家がこんなに汗水流して作った米の価格が安すぎる。なのに減反は許せない」と農業問題に発展していた。例の問いに「農政や稲のことを考えてました」
▼「百姓は下を向いて汗だけ流してるわけではない。土と雑草と作物と向き合い、生育や販売のこと将来の農業のことを考えてるんだ」と農家。稲のことは稲に......何度も汗して反復してこそ理解できるのかも。