▼「私たちはくわで平和を実現する」「農業復活こそがアフガン復興の礎だ」と講演などでは話したそうだ。内乱が続くアフガニスタンで、復興支援に努めてきた医師の中村哲さんが銃撃を受けて亡くなった。
▼面識はないが、用水路の建設や農業の普及を通じた復興への活動に注目していた。中村さんは、1986年からアフガニスタンと関わり、活動は30年以上になる。戦乱は武器では解決しないと、戦力や暴力とは無縁の人だったのに、標的にする必要はあったのか。
▼飲み水や農業用水を確保する事業は、大干ばつを機に2000年から始まった。難民の増加やテロ組織への参加をとめるには、食料確保が重要と考えたという。これまでに1600本の井戸を掘り、25キロにも及ぶ用水路は1万6500ヘクタールの農地を潤している。
▼医師の中村さんには、専門外の取り組みだが、出身地である福岡県の山田堰などを参考に、用水の安定供給を実現してきた。筑後川にある山田堰は、江戸時代初期の1663年に完成し、幾度も洪水に遭いながら再建され、今も使われている。アフガニスタンは、電力の確保や土木資機材の搬入が困難であり、建設や地元住民による維持を想定して、山田堰をモデルにしようと判断したそうだ。
▼今回の事件は残念でならないが、井戸や用水路は、中村さんの平和への思いとともに引き継がれていくだろう。